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October 20, 2017

三原葉子というひと

三原葉子は、昭和8年(1933年)1月10日生まれの盛岡市出身の女優。本名は藤原正子。
日本で映画が娯楽の王様だった時代に新東宝という制作会社があり、その新東宝でのエログロ路線でグラマー女優として活躍した方。
以前からその存在は知ってたけど、新東宝といえばそのエログロ路線で有名だったわけで、いかにもB級という印象があって自分の若いころはあまり興味がなかった。邦画なんかより洋画ばかり見ていたし。でも小生も歳をとり日本映画も面白いと思うようになってから、新東宝の作品にも関心を持つようになった。自分的には、新東宝ブランドの一番の衝撃は中川信夫監督の「地獄」。
エログロ路線が主流でもこんなカルトな作品を送り出していたということに本当にびっくりした。
この作品から新東宝の作品にも目を向けるようになった訳で、できるだけ見てみたいとは思ったがもう時すでに遅し。DVDも国際放映ブランドでテック・コミュニケーションズから出ていたのに廃盤になってて、その一部の作品がバップからの発売になっていた。結局バップ版で初めて買った新東宝作品が「花嫁吸血魔」だったな。
このあたりから新東宝の映画をなんとかして見る機会を増やすことに傾注することになり、必然的に地帯(ライン)シリーズも見るようになり三原葉子が重要な存在になる。
たぶん、ラインシリーズで最初に見たのは「黄線地帯(イエローライン)」だったはず。見てみて、これもまず驚いたのはその作品世界。カスバのセットのすごさに驚いた。作品自体も、自分の知る石井輝男のエログロものとは全然違っていてとても面白かった。ここでの三原葉子、まずその無邪気なキャラが印象的。それでいてセクシーな踊りのサービスがしっかりと劇中にあるわけで、あえて言うならこのコケティッシュさ(適当な日本語が思いつかない)がこの人の素晴らしいところなのかも。この作品のいいところはこの三原葉子演じる無邪気なルミと対照的な、天知茂が演じた鬱屈した殺し屋の衆木という存在の対比がものすごく生きていること。おかげで三原葉子の存在も強く印象に残る。本作での三原葉子は淀川長治さんが高く評価していた。

もともとは第1期新東宝スターレットに合格し新東宝の自前のスターになるはずだったのだが、入社してからはしばらくはぱっとせず、端役で出演を重ねているうちに前田通子がいなくなった後のセクシー女優ポジションを受け持つことになったのがこの人の芽が出るきっかけ。そのポジションを受け入れてからの活躍は知られている通りのこと。ただ、前田通子との違いというと演技に対する熱意というか、温度差というか。前田通子のほうが和風の美人で、プロポーションもきれいだけど、いまいち役への熱意が薄い感じ。
三原葉子のほうが、演技という点では役に対してのハマり方がずっとしっくりきているように見えた。
不思議なもので、新東宝のセクシー女優について言えるのは、実はみなこっそり胸をときめかせた憧れだけど、それを人前で堂々といいだすことができない存在だったという立ち位置。そういう意味では新東宝の上層部にはある意味で人を見る目があったというか、うまくスターを創造したというのか。
自分的には三原葉子だからとか前田通子だからという訳でなく新東宝のあの大蔵貢のテイストが面白くてDVDでいろいろ見ることに精進していた。

彼女の生家はもともと盛岡で毛皮商を営んでいたところで、その藤原家が盛岡に現存していてリフォームされたという話を聞き、いきさつは忘れてしまったがそのリフォームの設計を行った盛岡設計同人の渡辺先生と知り合う機会があり、実際にその生家を見せていただいた。たしか、2014年のこと。その際に伺ったのだが、彼女の生家がリフォームされるにあたって持ち主が変わったのだそうでそこまでは三原葉子の実家の藤原家がずっと所有していたのだそうだ。そのときはこの新装なった藤原家に三原葉子を招いてお話を伺うイベントなど開催したいという話で盛り上がった。

聞いたところによると、三原葉子が盛岡を離れ、のちに彼女の父親はじめ親類も亡くなってからは住み込みのお手伝いさんみたいな方が実際に住んで家を管理していたが、そのお手伝いさんも亡くなりしばらく空き家になってさすがに傷みがひどくなったようで、おりしも国交省が導入した「街なみ環境整備事業」が盛岡で推進されるにあたってこの建物が重要整備対象のひとつになった。所有者(おそらく三原葉子本人)から盛岡市に対して土地建物の買い取りの申し入れがあったが予算の関係で市で取得できず、街並み景観の修景などへの有志である現オーナーが建物を買い取った。この活用事業の主体になっていたのが盛岡設計同人だった。
そして、実際に工事を始める直前に挨拶がてら三原葉子さん本人が盛岡に来て渡辺先生が対面したのだった。この時には甥御さんと姪御さんが同行していたがこれが2012年のこと。その時の写真を見せてもらったが、そこにいた三原葉子は当然齢を重ねていて、かつての女優時代からはかなり太っていた。
自分の生家を見て懐かしがっていた三原葉子は、その古い、あばら家になっていた自分の生家に一泊していったと聞いた。予約してあったホテルはキャンセルしたとの話。

2014年の10月初め頃、地方紙の岩手日報に三原葉子のストーカーみたいなファンである読者の投稿が掲載された。三原葉子の大ファンだというこの人は三原葉子の関係者をしらみつぶしに訪ね歩き、三原葉子が亡くなったということを知ったと記されていた。
これを読んで、先だってリフォームされた藤原家を見学していた小生たちは驚いた。この話は真実なのか?
三原葉子の親類という方と小生のヨメさんが接点を持つに至り、三原葉子の従兄弟にあたる藤原養蜂所の藤原会長にお目にかかる機会を得て、彼女が亡くなっていることが事実であることを確認したのが2014年の10月の末あたり。
さらに盛岡の郊外にある藤原家のご本家にもおじゃましてお話を伺うことができた。その際に見せていただいた三原葉子の甥御さんからの手紙を見せていただいたところ、彼女の命日は2013年7月1日と判明。このあとは甥御さんとなかなか連絡が取れない状況が続き、しばらくは何もできない状態だったが、見切り発車でほぼ1年経った2015年12月に最初の「三原葉子を語る会」というイベントを我々で彼女の生家で開催した。第2回は諸般の事情で中止となったが、この会の情報が盛岡タイムスに掲載されてのちに拡散して三原葉子が亡くなっていたというニュースが広く伝わることになった。
この語る会を開催するときに三原葉子の同級生で友人だった方たちに来ていただいた訳だが、同級生の皆さんから伺った三原葉子という人間、素の藤原正子さんはとてもいい人だったという言葉。
それを裏付ける話だが、川本三郎さんによると前田通子が新東宝を離れたときには仲間の女優につまはじきにされたというが、三原葉子だけは違ったらしい。前田通子が事実上のクビになった時にはロケ先から「クビになっておめでとう」みたいな電報を送ってきた女優もいたそうで(これ、どうも万里昌代みたい)皆から突き放されてしまい、とても悲しい思いをしたとのことだが三原葉子だけは優しかったとインタビューで述べていたとのこと。
同級生の方々から聞いた話では、とにかく盛岡の同級生たちとの交友は大事にしていたそうで一緒に旅行に行ったり、自身の出演している舞台にも招待していたりしていたという。女優になるために学校での勉強を途中であきらめて東京へ出て行ったので、「もっと勉強したかった」と言っていたそうで、真面目な方だったようだ。
その昔「ノーサイド」という雑誌で「『戦後』が似合う女優」という特集が組まれたときに新東宝の女優陣にもしっかりと触れていたが(川本三郎さんのおかげだろうか)ここに石井輝男が三原葉子の思い出を寄稿していた。それによると彼女、最初に海外に行ったとき英語ができなくて苦労したそうだが、のちに高倉健らとロケで香港に行った際には全く不自由せず英語を話していたそうで、石井輝男から見てもたいへんな努力家だったとの人物評が記されていたが、同級生の方たちの話とも通ずると思った。

とにかく、伝え聞いた三原葉子という女優はプライベートではとてもいい人だった。残念なのは、健康上の理由らしいが1977年ごろに女優業からは実質引退になったこと。この年にTBSの金田一耕助シリーズの「三つ首塔」とATG作品の「西陣心中」に出演した後は表舞台には出ていない。

甥御さんたちとのやりとりについては藤原家本家が地道に続けてくださっていたようで、彼女の遺した品々をまとめて彼女の生家の離れで保存することと彼女の納骨をまとめて行うことについて話がまとまったのが2017年の夏。ご本家には感謝申し上げたい。
甥御さんと姪御さんが盛岡に来た際に一席設けていただき、ここで初めて甥御さんとお会いしてお話を伺うことができた。

聞いたところでは、引退状態になった後にグアム島でのホテル経営など始めたらしい。甥御さんと姪御さんは彼女の姉の子供だそうで、その姉が亡くなった後に彼女が引き取って育てていたそうだ。自身に子供がいなかったからかもしれないが、甥御さんいわく勉強やしつけについては厳しかったという。
自宅にはたくさんの猫を飼っていたという。甥御さんから我々語る会に三原葉子さんの遺された品々を寄贈していただいたのだが、甥御さんによると他にもたくさんあったのだが猫によってダメになったものも多かったそうで、それらは残念なことに廃棄せざるを得なかったとのことだった。たいへん残念だが、あまり昔日の思い出にひたるタイプのひとではなかったのかもしれない。

甥御さんたちとの会食の翌日、三原葉子の遺骨はようやく東顕寺の藤原家の墓に納骨された。
亡くなって4年あまりかかったが、藤原正子として、やっと彼女は盛岡に帰ってくることができたのだ。
できるなら一度お目にかかってお話を伺いたかったと思う。

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