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September 05, 2008

はじらい

姉から借りた「カーズ」のDVDがえらい変なソフトで、物語の途中で読み込めなくなったので頭にきてレンタルに行って借りてきて、しっかり見ました。

まぁ、ディズニー+ピクサーだからとても健全なおはなしなんだけど

これだけ借りて帰るのもなんだしなぁ、と思ったが、では何を借りるか?

どうしても最近の映画は見る気がしないしなぁ…と思ってたら、たまたま目立つところにあったのがこの「はじらい」。

監督は「ひめごと」のジャン=クロード・ブリソーだって。
確か、「ひめごと」ってパンツ付の前売り券売ってた変わった企画の映画だったと記憶してたけど

オーバドゥのショーツって、ストリングミニマムだともっととんでもないの当時は売ってたぞ

その次作がこの「はじらい」。
何でも、ブリソー監督は前作の「ひめごと」撮影のオーディションでセクハラ行為があった!と女優から訴えられ結構な額の賠償金を払うハメになったそうで、その経験がこの「はじらい」でつづられているとの話。
根がスケベなので、こういう風に文芸的にハダカの出てくる映画は好きなので今回はこれを見ることにしました。

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はじらい Les Anges Exterminateurs 2006年
監督 ジャン=クロード・ブリソー
主演 フレデリク・ヴァン・デン・ドリエッシュ
マルーシア・デュブルイユ、リーズ・ベリンク、マリー・アランほか

映画監督のフランソワ(フレデリク・ヴァン・デン・ドリエッシュ)は新作で『タブーと歓び』を主題に据えて撮影するべく、主演女優のオーディションを開始する。が、人選は難航。そりゃあ、いきなり「人前で自慰行為ができるか?」「それを撮影してカメラテストしたいが?」なんて言われて即座にOKする奴はフツーはいない。オーディションは難航することになる。
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この様子はなぜか、二人の堕天使たち(あるいは幽霊?)によって監視されている。彼女たち(ラファエル・ゴディンマーガレット・ゼヌー)はこのフランソワの映画を失敗させるために誰かの指示を受けていて、実際にそう仕向けるのだった。フランソワは夢で死んだはずの祖母(ジャンヌ・セラール)の声を聞く。
行きつけのカフェで強く自分を売り込んできたのがジュリー(リーズ・ベリンク
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カメラテストでもフランソワの目の前で堂々とアクメに達して、堂々の合格。
次にやってきたのがシャーロット(マルーシア・デュブルイユ)聞けば高名な精神科医のムスメなのだが、かなり愛情に飢えている様子で私生活は乱れている様子。いきなりカメラテストを希望し、レストランで自慰行為したうえジュリーとのベッドインも激しい。そして最後に、このレストランで働いていたステファニー(マリー・アラン)がオーディションにやってくる。彼女は実はシャーロットの友人だったのだ。こちらもいきなりカメラテストを希望し、ジュリーとシャーロットも交えてのベッドプレイを見せつけこれで女優が決まった。Apd_124012
台本読みも始めたけど、ステファニーには親しい友人と名乗る謎の男(フランソワ・ネグレ)がくっついていることが判明。彼に脅迫めいたことを言われたフランソワは「彼を私に近づけるな」と命ずる。でも、この男はその後フランソワに付きまとうことに。



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フランソワはまだカメラテストを続けている。
いざという時のために代役も必要なため女優はまだ捜していたのだが、3人の女たちにはそんな論理は通じない。どうにかしてフランソワのオーディションを中止させようとする。
この3人の女のつながりは、あくまでもフランソワが要になっているので彼が彼女らに関心がなくなると3人がつながっていることができない状況。あるいは、お互いの存在を必要としている姿を見るための証人というところ?Apd_124014

妻(ソフィー・ボネ)には「この映画はやめた方がいい。彼女たちは魔女よ」と釘を刺されつつも何とかクランクイン。でもその初日にシャーロットは精神のコントロールが効かなくなり、メイク室で暴れたもんだから撮影は中止。プロデューサーから契約の打ち切りを告げられたシャーロットに同調し、フランソワにつばまで吐いて怒るステファニーも契約破棄を願い出る。キタナイ捨て台詞を吐き散らしシャーロットを連れて現場を去っていった。
撮影は2人には代役を立て、ジュリーだけが残ったがクランクアップ後に彼女も音信不通になる。

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フランソワの家に警察が来た。シャーロットとステファニーが警察にセクハラされたと訴えたためで、警察は証拠品を押収しフランソワも事情聴取のため警察へ同行。帰ってみると、家はもぬけのカラ。妻は「すべて失う前に別れましょう」との書置きを残し出て行ったのでした。
所在なくなった感のあるフランソワはジュリーに偶然再会。「あなたが好きだったから」とカフェで彼女から今回の映画のいきさつを語られるのだが、もともと彼女たちとは距離を置いていたフランソワにとっては意外な話。
自宅に戻ろうとしたフランソワは覆面をかぶった連中に身体を押さえつけられ、バットでボコボコに殴られ重傷を負うが、死なずに済んだのは堕天使の思いやりのおかげ。車椅子に縛りつけられていても彼は撮影の現場にいた。


主に冒頭とエンディングに詩的な散文の台詞が重なるのだが、これはオリジナルなのかな?
とにかくこの3人の女たちが、それぞれ内に秘めている快感への欲求(これってリピドーって言っていいんだっけかな)を発露する、その媒体になっているのが映画監督のフランソワ。その存在は彼女たちにとっては理解者であり観客なのだけど、そういう存在が彼女たちから目線をそらしたら彼はどうなるのか?
そういう形で愛されている彼は裏切り者になるのか?そうなったらその存在は消されるべきなのか?
日常の生活でも、なぜか異性の友人からぶっちゃけた話ばかりされるような人はいるのでこういう構図の人間関係は理解できなくもないけど、それでもこのフランソワはブリソーの存在を表現するキャラクターなんでいろんな女から愛されているのは何だか自己満足的な気もするなぁ。謎の連中にボコられるけど、誰に何のためにやられたのかいまいちわかんないし、登場人物のバックグラウンドがわかるようなプラスアルファもほしい気がするので脚本としては少し不親切かも。原題のLes Anges exterminateursは映画の内容を端的に言い得ていると思うけど、邦題は考えたほうが良かった気もするし(「死をもたらす天使」とでもいうのかなぁ、意訳なら「残酷な天使」ってとこか)まぁ、あたらずとも遠からず。
以前、知り合いから「やっぱフランス映画はわからない!」と言われたことがあるけど、そりゃゴダールとかの小難しい映画見ればそう思うのはしかたない。それでも、ああいう詩人であることを見る側にも強いるような映画はもう過去のものかと思ってたらまだあるのね(-_-;)
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でも、音がスケベな自分からするとこういう小難しいこと言ってても結局スケベなものはスケベ。そんなに志の高いもんじゃないとおもうんだけど面白いのは、実生活ではその理屈っぽさってなぜか変に説得力がある人もいるんで、そういう人ってなぜか女にモテるというかいうこと聞かせるのが上手いんだよな。高尚な論をぶって、口説いて脱がしたりするのに成功率が高い人。ただ口説くのじゃないのになぁ、ある意味これはうらやましい。

人を愛するということ、愛されるということはどうしても永遠のテーマなのですな。
それが甘ったるいのか甘いのか、苦いのか辛いのか、ドライなのかウェットなのかハードなのかソフトなのか、いろんな形があるわけだけどその表現ができるくらいにいろんなものを見て聞いて感じる、そういう作業はサボってはいかんのだなぁ、なんて少し思った。

もともとはエッチな表現のある映画が好きなだけで見たんだけどねぇ。
神様、こんなスケベな自分を許してください。

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