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December 31, 2005

年の瀬

 今年ももう、終わります。
あと30分でおしまい。今年のうちになにかここで
気の利いたことを書き込めるか、考えながらキーをたたいて
いるのだが、…ない。あ、そうそう、思い出した。
 おととい、車で出かけようとして細い道に回ったら思い切り
失敗。雪にはまってしまい、走行不能に陥った。これを何とか
解決しようと雪を掘るやら削るやら、近所にいたアート引越センター
の2人のおにいちゃんといっしょに車を押したりしてみたものの、
脱出はできず。ついに最後の手段、JAFを呼んで引っ張ってもらったら
あっさり脱出成功。とはいえ、結構な出費になりました。もともと小一時間
位で済むはずの用はこれのおかげで3時間超かかり、JAFの会員に
なるというおまけまでついてしまった。

 そして昨日から、全身が筋肉痛である。
自動車は、重いということを身をもって知った一日になった。これのおかげ
といっていいのか、年賀状書きはスケジュールが思い切り遅れてしまい、
郵便局に持ち込んだのは今日。ツマの方は100通以上の年賀状を作っていた
のでほんとに大変そうだった。お疲れ様です。
疲労困憊のまま、もう一年の終わりがくるのは何か不本意です。
来年の今頃は、もっとのんびりと年越しをしたいと思いました。
これを読んでくださっている皆様、また、来年もひとつよろしくお付き合い
くださいませ。ありがとうございました。

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December 27, 2005

ブログとはなんだ

 もともと買い込んだDVDなどの映画ソフトを見た際の感想など、
テキトーに備忘録代わりにしようとたくらみ、このブログを作り始めた
訳ですが、過去の拙文を読み直してみると…うーん、マンダム。

こういうのを再度推敲してアップするってのは、アウトでしょうか?

一応、このブログもひとつだけランキングサイトに参加しているんだが
このランキング、定期的にリセットされるんでたまにチェック入れると
ここのリンク先がどこかに行ってしまう。だいたいはすんごい下の
順位になっていて、この状態を見ると
「あ、更新がまだだった」
とちょっと慌てて次のネタを考えてたりするのだった。
でもこれじゃ当初の目的がなんだかわからなくなってるような気も。
まぁ、やはりできるだけマイペースで行くようにしよう、と弱く決意。
今欲しいソフトは、手塚治虫のアニメラマ三部作です。

にしても、このココログ、フリーのほうが機能が充実しているとのハナシ。
このブログもフリー版に引っ越そうかなぁ。今回は本当につぶやきのみでした。

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December 18, 2005

暗黒への転落

 ハンフリー・ボガート主演のコロンビア・フィルムノワール傑作選
を見る作業も、やっと4本目。買ったの去年の暮れだったことを考えると
1年経ってもまだ見終わっていない訳で、不真面目な己を責めるばかり。
だいたい、その直前に買ったパゾリーニのDVD-BOXもあるわけで、
買っといて無駄にしているのはもうやめようと、懲りずに決意するこのごろ
であります。

 んで、「暗黒への転落」を見てみた。前に見た「孤独な場所で」がこの後に
撮られていたので、時間軸としては逆行しているのがちとうまくないです。
というのは、これも監督がニコラス・レイなんだがこれ、なんと彼が監督として
独り立ちして2作目という若さということで、この人のまだ固まりきってない
素の部分が見えているような気がするから。ま、そういうことはさておき
実際に見てみると、…暗いぞ、この話。とにかく、ボギーの映画というよりは
ニコラス・レイの作品としてみるといいと思う。

 この当時、ハリウッドスターが自前のプロダクションを立ち上げ映画製作に
乗り出すのがムーブメントで、われらがボギーもサンタナ・ピクチャーズを
立ち上げる。その第1作がこの「暗黒への転落」(原題はKnock on any door)
んで、もともとワーナーのスターだったボギーはこの作品の配給会社として
コロンビアを選ぶ。専属契約がゆるやかになってきた頃のお話。
監督のニコラス・レイはこの前作の「夜の人々」でデビュー。この作品が注目を
集めボガートが監督を依頼したのだろう。この「夜の人々」、小品ながら評価は
高くて、リメイクもされている。ボガートはスターだったけど、逆にこういうスター
システムの映画ではきちんとした人間ドラマが作れないことが面白くなかった。
市井の、普通の人々のドラマを作りたい。それで自前のサンタナ・ピクチャーズ
を立ち上げ、自分好みのドラマを制作することに至る。もうボギー、50歳過ぎ
だった。夢をあきらめてはいかんのだなぁ。
 原作はウィラード・モトリーの小説。ほんとに小品らしい。脚本がダニエル・タラ
ダッシュ。この後「ノックは無用」「地上より永遠に」「ピクニック」と50年代の
秀作の脚本を担当。ボギー、いいメンツ揃えてるぞ。
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 ある夏の夜、スラム街のバーで強盗事件発生。逃げる犯人の男は追ってきた
警官を射殺。容疑者としてニック・ロマノ(ジョン・デレク)が逮捕される。彼は
旧知の弁護士アンドリュー・モートン(ハンフリー・ボガート)に弁護を依頼。
気乗りしなかったモートンだが妻アデル(スーザン・ペリー)の頼みを聞き入れ
弁護を引き受ける。今から6年前に、モートンのパートナーがニックの父の弁護に
失敗し、父は刑務所で病死。ニック一家はスラムの住人となり、ニックは悪の道に
入る。何度か逮捕され救護院で友人の非業の死に立ち会った彼をモートンは見守
ってきたのだがやはり更正がうまくできず、何度か服役していた。そんな彼も、
エマ(アレン・ロバーツ)との恋から真人間になろうと一念発起。彼女と結婚し新しい
生活を始めるが結局仕事はクビになる。自棄になりまた悪い仲間とことを起こそう
とするニックを、自身の妊娠を告げエマは止めようとする。でもニックは言うことを
聞かず強盗へ。帰ってみると、エマは自殺していた。救いようのない話やのぉ。
こういったニックとの自身の関係を語り、その上でこんな青年を、何とか救って
欲しいと陪審員に訴えるモートン。しかし担当検事のカーマン(ジョージ・マクレディ)
は追及の手を緩めない。検察側証人の証言の怪しさを突いて、勝利目前のモートン
だったがカーマンの厳しい尋問に対しニックは自分が犯人であることを告白する。
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 判決が言い渡される日。最終弁論の場で、モートンは法廷にいる人々に訴える。
「そう、ニックは有罪です。だが、われわれも同じです。そしてこの社会も有罪です。
社会とは、我々のことです。社会は利己的で愚かです。犯罪は環境の産物です。
でも、皆犯罪を非難しても責任をとろうとはしない。関心も持たない」
「あのような町がある限り、このような青年は何人と出てくるでしょう。ノックをした家
すべてにニック・ロマノは居るのです」
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取材する新聞記者にも問いかける。
「書いてくれ。我々善良な市民たちが何年も前にこの青年を生み出したのだ。
彼の犯行は我々が命じたのです。死刑になれば、我々が殺したのです」
そして、担当判事のドレイクにも語りかける。
「我々は彼を殺すのですか?…私は慈悲を乞いたい。彼のためだけでなく、
我々のために。一片の慈悲を」このくだり、ボギー熱演。
ドレイク判事は、
「ミスター・モートン、感動しました、本当に。しかし、法の役割は明確です」
と静かな声で答え、死刑判決をニックに言い渡すのだった。

刑場に向かう前に、ニックにモートンは告げる。
「約束する。おれは君のような若者たちの力になるよ」

 まあ、物語が暗くてドンパチ少ないのでフィルムノワール的とは言いづらいとこも
ある。でも、作品としてはメッセージ性に富む佳作である。後に「俺の墓標は
立てるな」という後日談的な続編も作られているので、これも見る機会があると
いいな。ニコラス・レイの処女監督作「夜の人々」も見てみたいけど、ソフト化は
厳しいか。ボギーの熱演はともかく、カーマン検事を演じたジョージ・マクレディが
よい。右のほほに傷跡があり、とにかく人相が悪いしモートン弁護士とずっと
ケンカ状態で渡り合うカーマンはやはり見てる側としてはブーイング。しかし、
ニックをオトしてモートンと尋問を入れ替わる際に「悪かったな」と一言、こそっと
告げるあたりでカーマン検事のプロフェッショナルさが一発で伝わる。このカットで
なんかうまくはめられた感じがした。ニック役のジョン・デレクもがんばってるけど
まだまだだな、ボギーとマクレディには。ちなみに、ジョン・デレクはボー・デレクの
夫でのちに俳優から監督に転じています。
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唯一気になったのが、最後の刑場に向かうニックの姿。後ろ頭に何か白いものが
ある。…ひょっとして、ハゲ…(ー_ー)!? 気になる…。
不真面目に見てちゃいけませんねぇ、自分。反省。

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December 16, 2005

これじゃいかん

 なかなか更新が出来てない。これじゃいかん。
 かといって、何も観てない訳じゃなくて、時間的にキビシイので。
 「暗黒への転落」は観てるけど、ふたたびビミョー。

 岩手のローカルタレントで「ウリウリ」こと瓜田華菜子という方が
おいでですが、この方が今度結婚するそうで。
確かもう20代後半の年齢だったと記憶しているのだが、月に一度
くらい無料で各家庭に配布される県民紙で「いわてグラフ」という冊子
があるのだけど、この裏表紙は毎回県民の方のなんかのメッセージが
都合16人分くらい載っている。以前、その中に彼女の写真とメッセージが
あって、「20代 アイドル」と手書きのフリップに書いてあった。

20代後半でも、アイドルと名乗ることが可能だったのか。そして
アイドルって、職業だったのかと知った一瞬だった。
ちなみに、瓜田さんは盛岡市内の専門学校の講師もしておいでです。

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December 10, 2005

日常

 会社の基本方針で、情報管理がが大変重要に扱われているので
私も自身のブログでは仕事に関連する話題は徹底的に避けております。
そうなんだけど、今日おじゃました事務所で聞いた話は何か書き留めて
おきたいと思ったので、今回ネタにしてみます。

主な協業パートナーの盛岡営業所の所長が10月に人事異動で交代し
(彼は仙台出身)その所長から「いっしょに挨拶に行きましょ」と誘われて
いた、吾社と取引が間接的にある会社の盛岡営業所に今日おじゃまして、
お話をしてきた。
そこの所長さんは盛岡の繋の出身で、おいらも盛岡の出身ということで
仙台出身のパートナー所長にいろいろ話題を出して盛岡的なネタを語って
駄法螺を吹いていたのだが
「繋だと、全日空機の事故ありましたよねぇ」とネタを振ってみたら
「そうそう、すごい事故だったんだよね」ということで話が進む。
取引先所長はおいらより3つ年上で、もっと具体的にあのときのことを
覚えていた。

1971年7月30日14時頃、雫石町上空で千歳発羽田行全日空58便が
訓練中の空自の練習機と空中衝突して墜落。乗員乗客162名全員が死亡
した事故が発生した。当時、史上最悪の航空事故だった。
盛岡市の繋は、雫石町との境目に位置する温泉街である。このすぐ脇に
現在は御所ダムというのができているが、その底に沈んだ街にこの事故
対策の前線本部が当時置かれていたのだ。

その当時おいらは小学一年生の夏休み。
とてもいい天気の日で、その時間のすぐ後あたりにたまたま見た空に
変わった飛行機雲があったのを見ていた覚えがある。
取引先所長はまさしくその当日、学校のイベントがありなんだかんだやって
いたのでよく覚えていますとのこと。

「その日は、通ってた小学校のプールが完成してプール開きの日だった
んですよ。でも午前中は天気が曇ってて、式典やって初泳ぎっていっても
すごい寒くて大変だったの。それで、おれたち小学生は終わったらすぐに
帰ってたけどオトナの人たちは完成祝いでそのまま宴会してんです。
で、うちに帰って中にいたらすごい音が空から聞こえてくるの。うちの
じいさんは「雷だ」って言うんだけど空が晴れてるのに雷はないですよね。
外に出て空を見てみたら飛行機雲と、なにかキラキラしてるのが見えるん
ですよ。ちょっと離れて小さい赤いのが見えて、それは自衛隊機のパラ
シュートだったんですね。で、そのキラキラしたのと一緒に小さい黒い点
みたいのが見えた。キラキラしてたのは全日空機とか自衛隊機の破片で、
黒いのは人間の頭かなんかなんですね、たぶん。」

「しばらくぼーっと見てたんだけど、そしたらすごい数のヘリコプター
が飛んできた。その後、ニュースで全日空の飛行機が落ちたって知った。
近所の家なんか、畑作業してるすぐ目の前に人が降ってきたって。
プール開きの宴会やってた大人たちは当然その日カメラなんか持って
いたはずなんですけど、写真撮ってなかったんですね。酔っ払ってて。
あの事故の、落ちてく飛行機雲の写真が岩手日報に載ってたでしょ。
あれは一般の人の撮影なんだけど、聞いた話だとあれかなりの金額で
岩手日報が買い取ったらしいですね。撮っときゃよかったのにねぇ」

「物見遊山でうちの兄貴とか、現場見に行ったんですよ。でも、帰ってきて
すごいへこんでるの。もう見たくないって。俺は行きませんでしたけど、
現場はホントにすごかったらしいですね。それ聞いた従兄弟も見に行って
みたんだけど、入る山間違えてぜんぜん違うとこ行っちゃったんで何にも
見られなかったんですって」

ちょっと前に盛岡市医師会の会史を読んだときに、この事故の犠牲者の
身元確認などの作業を直接担当したのが盛岡市医師会からの派遣医師たち
だったのでこの事故に関する記述が詳しかったもんでちょっと感心したことを
思い出した。

もうひとつ今回初めて知ったのだが、このとき同時に墜落した空自のF86の
搭載機銃がしばらく行方不明になっていた。物好きが墜落を知り、ものすごい
状況の事故現場をくぐりぬけ、回収して物置小屋に隠匿していたのだそうだ。
マニアとは恐ろしいものである。(この話も取引先所長さんから聞きました)

全日空ではこの事故機の残存機体を保存しており、近く社員向けに展示施設を
設けるそうだ。あれからもうすぐ35年が経つことになるわけだけど、忘れては
いかんこともある。ぜひ一般にも公開してもらいたい。

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December 07, 2005

更新

 できてないっす。
買ってあるDVD観てる時間が、いまはちょっと足りません。
ボギー祭りは進行中だが、次回予定は「暗黒への転落」という
ことにする。

 新聞見てて、ほぉ、と思ったこと。
国際プロレスのDVDが発売になる。ちょっと見てみたい。
ストロング小林、ラッシャー木村、アニマル浜口、サンダー杉山、豊登
にグレート草津と日本人レスラー軍団にビル・ロビンソン、モンスターロシモフ
(アンドレ・ザ・ジャイアント)、バーン・ガニアなどなど海外勢の映像が
見られるのは、ちょっとうれしいぞ。
プロレスはとにかくTV局とのコネクションあってのもので、全日は日テレ、
新日はNET(テレ朝)そして国際はTBSが中継していたけど、これって
よく素材が残っていたなぁ。
少し、ほのぼのした。

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December 03, 2005

んで、きょうは

とにかく寒いのであります。
予想最低気温が、マイナス4℃…

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December 01, 2005

ジャイアントロボ原作コミックス版を読む

 たまたま本屋で立ち読みしてたら、驚いた。
「ジャイアントロボ」のコミックスが出ているではないか!
それも横山光輝の!まさしく原作のコミックスである。

 子供の頃は特撮小僧だった私にとっては、ジャイアントロボはあくまでも
実写のフィルム作品であったのだが後にこの作品が巨大ロボットものの
開祖、横山光輝の原作であるということを知った。
なのに、原作のコミックスはなんでか読めないままだった。なぜ?

 特撮もののコミック版というと実はけっこう出来のいいのが多い。
有名なのは桑田次郎版の「ウルトラセブン」だと思うけど、やっぱあの人
のクールな絵柄が冴えわたっていた時期の作だし脚色もいいので、とても
面白く読めた。この人の場合、とにかくキャリアが長いもんだから(デビュー
が12歳!)あまりにも作品が多いけど、そのほとんどが絶版状態だった。
復刊されたのも多いけど、…高いぞ、おい。
「8マン」をはじめ平井和正原作の作品は面白いのが多い。

あと、「ウルトラマン」のコミック版はなんと楳図かずおが描いていたのが
あるのに驚いた覚えがあるが、だいぶ前にサンコミックスで全3巻、復刊
されたのだけどこれがいまや高額商品。(桑田版ウルトラセブンもサン
コミックスで同時に復刊されてた)全巻揃ってればそりゃもう大騒ぎ。
これもやはり、あの楳図風の絵柄だからどうなってんだ?と思って当時
読んだけど、そんなに意外なことはやってないです。手堅くコミック化して
おります。確か、巻末に楳図かずおのインタビューがついてたはず。

 これらの特撮もののマンガ版といえば、まず出てくるのが一峰大二。
「ウルトラマン」「ウルトラセブン」も実は描いてたし、後に主にピープロ
特撮番組専門の漫画家として「スペクトルマン」とか「怪傑ライオン丸」とかも
描いてたと記憶している。この人の場合、絵がいまいち巧くなかったので
子供心に「やっぱ桑田次郎のウルトラセブンでなきゃ」と思ったものだった。
今になってみると、こっちはこっちで味がある。桑田次郎とは兄弟弟子に
なるのだそうで、言われてみると画の「間」というか、語り口というか、似てる
ような気がする。

 んで、「ジャイアントロボ」を立ち読みしてみたわけであるが…こりゃすごい。
時期的には横山光輝がノリノリの時期である1960年代後半の作だからまず
間違いはないと思ってたけど、まず草間大作が事件に巻き込まれてからの
お話が長い。
悪の組織ビッグファイアが某国にて開発中の巨大ロボットGR1は、その作業
中に事故が続発し計画が遅れに遅れていた。その某国に留学しにやってきた
草間大作は国際警察組織のスパイに間違われ、ビッグファイアに身柄を拘束
される。作業を妨害していた内部のスパイをあぶりだすことに成功したビッグ
ファイアは自白剤まで使うのだけど大作には効かない。そりゃそうだわ、うそ
ついてないんだもん。
そしてとうとうGR1が完成。しかし、その起動にはとにかく高電圧が必要なので
雷を使って(だから、この製造基地は落雷の多い場所にある)起動作業にかかる
と予想外の高電圧が必要で装置がオーバーロード。どっかーんと爆発して基地は
壊滅。地下牢にいた大作はこのおかげで脱出に成功したら、GR1の音声認識
装置にでくわす。わけがわからないまま大作はいろんなことをくっちゃべるので
彼の声がそのままGR1の唯一の操縦者として登録されることになる。
そこへ現れる国連特別捜査機構の皆さん。大作を救出し日本に帰す都合上GR1
を日本まで曳航する(大きくて運ぶのに難儀だから)ことになる。大作も腹をくくり、
捜査機構に協力する意思を固める。そりゃ、「オールドボーイ」じゃないけど
いきなり監禁されたら頭にくるわな。
このGR1を奪還すべく、ビッグファイアは追撃を開始。GR2を送り込み激闘を
繰り広げることになる…というのが上巻。(下巻は、なかった)このGR1がのちに
ジャイアントロボとなり、ビッグファイアと戦うことになるわけなんだけど、うむむ、
この海上での戦闘のテンポ、絵柄はどこかで見たような?と思ってたらやはり、
このマンガの上巻分にあたる前半部は小沢さとるが描いていたのだった。
この当時、小沢さとるも「サブマリン707」という潜水艦アクションの大傑作
をものしていたけど、当時多忙を極めていた横山光輝の代打としてこの作品を
描いていたらしい。実際、このふたりの絵はよく似ているからそれはそれでまぁ、
編集側ではよい選択だったと思う。それにこの海上でのGR1争奪戦の面白さは
すばらしい。さすがは小沢さとる、いい仕事してます。
途中から横山光輝本人が画も描くようになり、ここからの分が一度だけ出版された
ことがあったそうな。
しかし、横山先生この作品の前半部分(小沢パート)が気に入らなかったらしい。
「私の生きているうちにこの作品が出版されることはない」
とまで言っていたんだそうだ。出来が好みでなかったのが最大の理由だと言われ
ていたけど、読んだ感想としてはこの小沢さとるパートに嫉妬してたんじゃないか
と思う。面白いんだもん。

時は流れ、横山光輝は2004年4月に寝タバコで火事になり全身やけどを負い
亡くなる。結果この作品の完全版が世に出たと思うと、なんか複雑。
そこまで言うなら最初から自分で描き直せば良かったじゃん。

このとき本屋で同時に見つけたのが「マイティジャック 完全版」。作画がなんと!
横山まさみち!あの「やる気まんまん」の!
読んでみたら、これがまた面白い。

「マイティジャック」は1968年に円谷プロが製作した、当時としては驚きの特撮
アクションで一部では伝説化している。まず、「民放初の1000万円番組」一本あたり
の制作費が1000万円というのは超大作だったのだ。そして、夜8時のゴールデン
タイムの1時間番組として製作された特撮アクションだったのだ。
当時岩手県でコドモしてた自分には見られるわけもなかった(フジ系ネットなし)
けど、後に東京でオールナイトの上映イベントで見る機会があった。
そこそこ面白い作品でした。というか、興味のほうが先にたち、いまいち物語とか
ちゃんと観られなかったので今となってはくやしい。
でも、今回このコミック版を読んでみて思ったが、このマンガのほうが面白い。
このスピーディな展開。そして次から次のどんでん返し。誰が味方で誰が敵かが
ようわからなくなる、悪の組織Qとの激闘が源田隊員を主人公に描かれている。
番組本編では当隊長(二谷英明)がメインで、源田は二瓶正也が演じていた。
…イデ隊員では、漫画版のこんなスパイアクションにするのは難しいなぁ。
また驚いたのが横山まさみちの画のうまさ。「やる気まんまん」しか知らなかった
あたしには新鮮な驚きでした。高かったけど、買ってしまった。

「マイティジャック」は意欲作だったけど、視聴率がふるわず1クールで一旦
打ち切り。子供にターゲットを変え「戦え!マイティジャック」として30分番組に
なった。諸行は無常である。

他にも、ジャイアントロボを代打で描いた小沢さとるは交通事故で一時療養生活
していたが、707の新作をいまだ描いているらしい。ちゃんと描いてください。
桑田次郎は名前が桑田二郎になり、最近はこんなことしてるらしい。
楳図かずおは手を故障したとかで、作家活動が現在中断している。
一峰大二は、現在イラストの仕事がメイン。
横山まさみちはなんといっても「やる気まんまん」とかの艶笑まんがが有名だった
けど、まじめな歴史まんがも最後まで手がけていた。2003年10月にお亡くなりに
なってます。
残念なことは多いものである。

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もう冬だわ

 いかん、雪が積もった。
のんびり記事つくっちゃだめだわね。

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