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May 28, 2005

幻の湖 

 「幻の湖」って何?と思った。その昔、まだニフティがパソコン通信主体の
ネットワークだったころ趣味の同人の寄り合いのスペースとして「フォーラム
」というのがあって(今もあるけど)この日本映画フォーラムの中で、何故か
独立して会議室が設けられていた映画が二本。それが「幻の湖」と「ミスター
ジャイアンツ・勝利の旗」だった。「勝利の旗」の方は、長嶋茂雄主演だし
読売ジャイアンツの翼賛映画なのはすぐ見当がついたが(だいたいこういう
のはご都合主義がすばらしく展開している)「幻の湖」はどういう作品だったの
か全く知らなかった。公開は1982年だから、自分的にはとにかく洋画にハマっ
ていた頃なので意識してなかったし。この会議室の発言を見ると、何か
すごい映画らしいというのはわかったけど、見る機会がない。オールナイト
上映も田舎にはないし。
監督・脚本は橋本忍。黒澤作品(七人の侍 など)の脚本に参加し、この作品
の直前には「八甲田山」「砂の器」とヒット作を連発していた大脚本家。そして、
彼が満を持して製作した作品がこれ。東宝創立50周年記念作品のひとつで
ある。これだけ見ると、「傑作なのか?」と思ってしまうが、この作品なんと一
週間で公開が打ち切りになっている。記念製作だということを考えるとこれは
異例中の異例。これじゃ記憶にないはずだわ。鳴り物入りで公開したのにか
なりの不入りだったのは、これで明白。かなりつまらん作品だったのに違い
ない。「極楽テレビ」並か?そうなると是非見てみたい。しかし見る機会はない
だろなぁ、と思っていたら、これがDVD化された。どうせレンタルになるこたぁ
ないだろうから、東宝のDVDは高いけど奮発して買って、ついに「幻の湖」に
対面することとなった。そして見て、唖然とした。
こりゃ伝説になるわけだわ。期待通りでした。
 始まりの舞台は現代の、雄琴。琵琶湖のほとりの、今で言うソープ街。今で
もソープ街。ソープランド、当時は「トルコ風呂」と言ったのよね。尾坂道子
(南條玲子)は「湖の城」という店のトルコ嬢。源氏名は「お市」。
休みの日とか、オフのときは琵琶湖の周りで愛犬シロ(ラウンドウェイ・KT・
ジョニー号)とランニングに励む(ジョギングではない)
手短に物語をまとめると、このシロが殺され、道子が仇をとるまでのおはなし。
なんだけど…劇中のエピソードが…。
まず序盤、同僚のローザ(デビ・カムダ)が道子のトレーニングに付き合い出
かけるくだり。ジェット機の音を聞いて、
「あれはファントムではない、イーグルだ。イーグルはすでに実戦配備されて
いる」
とローザの独白が入るあたりから、見てるこっちは大変なものを摑んでしまっ
た、と思うようになる。
宇宙パルサーの研究者、長尾正信(隆大介)との出会い。彼が吹く笛の由来を
めぐるエピソードは、キャストが宮口精二、大滝秀治、関根恵子、北大路欣也、
星野知子と豪華。…んで、このつながりは、何をどうしたかったのだ?
シロを死なせた(出刃の背で殴り殺した)犯人、売れっ子作曲家の日夏圭介
(光田昌弘)を突きとめ待ち伏せする道子。…ランニング勝負を挑む。はぁ?
駒沢オリンピック公園でちぎられ、道子敗北。…そんなにへこむことかなぁ。
だいたい、日夏の情報を仕入れる先が東京で再就職したローザからなのだが
この女の仕事は、何だ?スパイか?
道子は雄琴に戻り、銀行員の倉田(長谷川初範)と結婚しようかな、という
雰囲気。そろそろ泡姫稼業から足を洗おうというときに日夏が客として現れる。
ここで道子逆上、逃げる日夏を追い再びランニングバトル。ついに日夏に追い
付き…追い越してどうする!(;゚д゚)
「勝った、あたしは勝った!」って、…あの、ありがちなスポーツドラマです。
そして道子は日夏を包丁で刺し、シロの仇をとる。そのころ長尾はスペースシ
ャトルで宇宙へ行き、琵琶湖上空で船外活動。ここで例の笛を取り出し、静止
軌道上へ設置。
「この笛は、たとえ琵琶湖の水が枯れ幻の湖となってもこの場所を回り続ける」
みたいな独白が入り、終劇。
われわれはこの2時間40分以上、何を見てきたのか…。この、ある意味もの
すごいカタルシスは体験してみてほしいもんです。DVD買って損したとは
わたし思ってません。

考えてみると橋本忍、田宮二郎の自殺の遠因になったとも言われる「イエロー・
ドッグ」(日本公開77年)の脚本を書いてるけど、このあたりから微妙に壊れ
始めていたのかも。大ハズレのこの映画の制作費は主演の田宮二郎がかなり自
分で負担していたそうで、営業やって取り返したけどかなり神経的にまいって
しまったそうな。当時、いきなり「8時だョ!全員集合!」のコントにも出て
たもん。それでも遺作のTVシリーズ「白い巨塔」は面白い。
この頃の松竹系の洋画は、今となっては権利関係が面倒なのが結構あるようで
簡単にはDVD化されてない気がする。「ピンクパンサー2」なんかは、先日
発売されたDVDボックスからこぼれたけど、配給は日本では松竹だった。
松竹系洋画として公開された「イエロー・ドッグ」もソフト化は難しいかなぁ。
権利者が誰なのかわからないし。でも見てみたい。
「幻の湖」で思い切りケチのついた橋本忍はこの後「愛の陽炎」と「旅路 村
でいちばんの首吊りの木」の二本の脚本を最後に、今に至るまで音なし。
こないだ野村芳太郎が亡くなったとき短い追悼コラムをひとつ書いていたから
まだ健在だというのはわかったけど、なんで急にデムパ野郎になった?
あと3年で橋本先生90歳の卆寿を迎えられます。
この映画の偉大さは、ネットで「宇宙パルサー」で検索するとこの映画
ばかりひっかかるあたりに感じてしまいます。
「幻の湖」うーん、個人的には楽しい映画だった。マンダム。

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May 24, 2005

お疲れ様、について考える

前から我が家では、とある全国紙の新聞をとっている。必然的に毎日読んでいる訳
だけど、この紙面で学生を対象として、投稿された作文の指導をするコラムが週一
回掲載されている。
 去年だったと思うけど、このコラムで「目上の人間に対するねぎらいの言葉は
お疲れ様ではない」との一文があった。うちの奥さんは専門学校で学生にマナー
指導なんぞやったりしているので、今まで「目上の方には『お疲れ様でした』と声を
かけるのが正しい」と指導していたわけで、自分だってその通りだと思っていた
ので、このコラムの一文はかなり驚いた。では、なんと言うのだ?と思った僕は
この新聞のHPからこの筆者にメールを送った。「我々は目上の方に使う言葉は
『お疲れ様でした』と認識している。どのように正しくないのか教えて欲しい」との
内容だったはず。
そんなことも忘れた頃に、この筆者から返事が届いた。この封書、確かとっておい
たはずだけど見つけられない。確か、「目上の人間に対して『お疲れ様でした』と
言うのが正しくないのは定説だ。高名な国語学者の方に直接うかがった」との
文面だったと記憶している。
「自分の書いたものにこのように反応があることがうれしい」「気持ちがこもって
いればどの言葉でもかまわないとは思う」との文がまぁ、順不同ですけど記して
あったはず。
しかし、国語学者の金田一春彦がその著作で「目上の方には『お疲れ様でした』を
使うのが正しかろう」と語っているぞ。「笑っていいとも」のレギュラーしてたから
文化勲章もらえなかったけど(本人もあきらめていたけど)立派な国語学者の、
金田一春彦。
んで、このことを反論として送ろうかとも思ったけど、やめた。
メディアに関わっていた人間がこんなに一義的なものの見方をしているのにまず
驚き、そして諦観してしまったから。
本当のことはいろいろな角度から見て確かめることが必要だと自分では思って
いるから、最初から「これが正しい。裏づけも偉い先生にもらっている」みたいに
されると相手にするのが何かあほらしくなった。しかも、相手はメディアの人間。
そういう立場の人間が一義的観点でものを語っているのは、何か奇妙に感じ
られたのだ。…まるで宗教じゃん、とも思った。真実はどこにあるのだろう。

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May 16, 2005

思い出したこと

 ちょっと前のことになるけど、衛星放送でしばらくゴジラシリーズを放送
していて、ちょうどゴジラがこないだの「FINAL WARS」で一応シリーズ
終了ということになってたがゆえの安易な企画なのは推察できたけど、けっ
こう単純な私は見てしまった。といっても、たまたまやっていたのが一番
最初の「ゴジラ」だったからなのですが。まぁ、監督が北村龍平では最終作だ
っていっても見る気しないし。ゴジラシリーズが終了だってんで朝日新聞に
矢作俊彦がコラムを寄せていたけど、こっちの方が面白かったしこれを読ん
でちょっと考えた。
なぜゴジラシリーズは終わるのか?
時代が変わったと言ってしまえばそこまでではあるのですが。それで
原点の「ゴジラ」を再見し、映画的に考察したかった時期だったので、これ
はありがたかった。監督の本多猪四郎はもともと黒澤明とともに東宝の若手
のホープというべき監督だったけど、黒澤が肺病の病歴があって徴兵不合格
だったのに対し、本多は召集され兵役に就いたためキャリアが中断している。
復員して東宝に復職したけど、黒澤がもう何本かヒットをものしていたの
に対し本多はまだ代表作がない状態。そんな中、田中友幸プロデューサーが
企画した怪獣映画に、監督として白羽の矢が立った。本人、当初乗り気では
なかったであろうことは推察がつくけど、従軍経験がこの企画意図に応える
ことになったみたいで結局監督を引き受ける。やると決めたら男気満点、水爆
でこの世に蘇ったこの「ゴジラ」のために多量に絵コンテを描いている。
だいたいこの怪獣映画は考えてみればかなり挑戦的な企画で、戦争で失っ
たものをやっと取り返してきて、なんとか復興しつつある現実を映像の中で
ぶち壊しにしようとしている訳で、リアルに創ればかなりの衝撃になる。
原作は香山滋。田中プロデューサーの意を汲んで創造したのが、水爆実験で
目を覚ました巨大怪獣が復興しつつある東京を破壊する物語。ゴリラとクジラ
をあわせて出来上がった名が「ゴジラ」。
特技監督は円谷英二御大。最初は製作が極秘に進められ「G作品」と暗号で
呼ばれることになる。
キャストも魅力的で、主人公は宝田明。ヒロインは河内桃子(キュートです)その
父の科学者が志村喬。その教え子の隻眼の科学者は平田昭彦(かっこいい)
東宝一座みんないい味出している。
 見て改めて思ったのは、とにかく監督の従軍経験が演出に多大に影響して
いると思われること。ゴジラに破壊される銀座松坂屋の前で「お父様の所へ
行くのよ」と死を受け入れる親子の描写とか、ゴジラのために傷ついた人々
の救護所描写がえらくリアルなところでそう思った。まだ戦争の記憶が重い
昭和29年ではこの演出はヘビィだったろうなぁ。テクノロジーの進歩は
幸福か?という命題がこの映画のテーマとして存在しているのが、この後の
さらなる日本の高度経済成長を考えると皮肉な感じもする。
黒澤は本多と同期だったし、実際親友だったのでこの「ゴジラ」の大成功を
とても喜んでいたらしい。この年の4月には「七人の侍」が公開されている。
後に本多は黒澤のファースト助監として黒澤作品に参加。そのまま晩年を
黒澤との友情を大事にして、過ごすことになる。

 こんなの思い出したのは、たまたまファミリー劇場で「帰ってきたウルト
ラマン」の再放送の初回を見て、第2話まで監督が本多猪四郎だったのを
思い出したから。これの本放送の頃はというと、自分はまだ小学1年生の
夢多き少年でありました。おかげで毎年盆暮れは「東宝チャンピオンまつり」
見に行ってたなぁ。本多猪四郎というと、このチャンピオンまつりの特撮
映画の監督というイメージが強くて、実際「ゴジラ」以後は幸か不幸か特撮
映画の専門になってしまった。一般の映画も撮っていたんだけれど、今は顧
みられることがない。再放送を改めて見ると、けれんみのない素直な演出を
しているのがかえって新鮮な感じがした。実相寺演出がウルトラ関係だと
えらく持ち上げられてるけど、素直さに徹した本多演出は今見るとかえって
好感が持てた。このひと、技がないわけじゃなく「ゴジラ」ではきちんと
ホラーの定石を踏んだ構成をしているが、この後は「ゴジラ対キングコング」
を頂点に明るい娯楽性を盛り上げる方向に振っている。ゴジラシリーズは
「メカゴジラの逆襲」まで製作が続いたし、「日本沈没」とか「ノストラダム
スの大予言」などの特撮映画も製作されたけれど、特撮映画の製作縮小に
伴い結果的に本多は仕事が減ってしまうわけで、また原点の一般映画に
戻ることになった。本多猪四郎の齢を経た演出を見てみたかったけど、今と
なってはもうかなわない。
 ウルトラマンシリーズの新作が準備中だそうだけど、今放映中のネクサスは
見ていない。やっぱウルトラマンは一話完結でなきゃ。

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岩手銀行ふたたび

 ぼちぼちこの書き込みを公開してきたら、トラックバックまでついてきた。
それはまぁ、いいんだけど岩手銀行はやはり気に入らん。「友の会」ならぬ
「大嫌いの会」でも結成したいくらい。郵便局が公社化されて劇的に窓口の
応対が良くなったことを考えると、ここの接客はまさしく「客を客とも思って
いない」天然記念物もの。
先日初めて岩手銀行のHPを覗いてみたら、お客様の声を吸い上げる
メールフォームでもあるかと思ったら、ない。「こちらまでお電話を」てな感じ
でフリーダイアルの電話番号が記載してあるだけ。
電話しても良いんだけど、言いたいことをきちんと整理して投稿したほうが
良いと思う。しかるに、この対応はやはり客をバカにしているような気が
してならない。ライバルのk日本銀行はきちんとメールフォームがあるぞ。
いずれ岩手銀行の悪口とk日本銀行をたたえる発言を送信してやろうかと
思っています。

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May 14, 2005

東京研修

 新しく今月から、仕事に就いた。(派遣だけど)
派遣先は、本社が東京の大企業。いまの本社は品川。
11日にその本社に行って、研修を受けてくることになり
新幹線に乗って行ってきた。東京駅に着くと、新幹線の
車内に「運行情報」が表示。京浜東北線人身事故のため
運転してません、とのこと。…快速が使えない。ので、
山手線で品川にとことこ下る。港湾口(だったか?)に
出てみると、自分の知っている品川はどこにもない。目に
つくのはマルちゃんの看板くらいだったのに。考えてみれば
東京から離れてかれこれ11年ほどでした。あの頃は
ゆりかもめも大江戸線もなかったな。
本社はハイテクビルで、社員証か入館証を執務室の入り口に
かざすとドアが開く。築まだ2年だから、きれいだよなぁ。
午後からみっちりと座学。とはいっても、本社の方と一対一で
小会議室で説明を聞くわけで、うかつにあくびもできない。
驚いたのは、内線で飲み物を頼んでもらっていたのだけどこれ
このビルの管理会社に注文しているのだそうで、値段は
結構安い。所属ユニットで経費として清算するのだ。このビルに
系列会社の本社がいくつかあるから、こんな会社あったほうが
いいんでしょう。
6時ごろ、この日の授業はおしまい。「ま、軽く歓迎会で」と
いうことで自分も入れて5人で本社から少し歩いたとこの
「ほ志乃」というもつ煮のうまい飲み屋へ移動。…ハイテクビル
からすぐそこが、こんないかにも品川のホッピーもある飲み屋。
なんか奇妙な感覚。
アキバの宿に帰ったら9時過ぎで、見て歩きたかったPCショップ
などはみーんな閉店。仕方なくアダルトショップ見ました。
翌日は小平へ行って、午前中工場見学。午後からまた本社。
朝はやっぱりアキバなら牛乳屋でアンパンと白だよ、と思って
たら8時前は開いてない。残念。
なんとか、眠らずに午後も終了。お疲れ様でしたぁ、とやっと
アキバでPC見られる!と思い電車に乗る。
自分の座ったすぐ前に、若い女が立った。右手でつり革を
つかんでる。なんとはなしに見ると、彼女のおなか、へその下が見える。
ローライズだからなぁ、とは思うけど気になる。そのうち、空いてる
左手をベルトにかけたら、さらにジーンズが下がりヘタすると
彼女の股間が出てきそう。自分すこしどぎまぎしました。
もすこし観察したかったけどアキバ着で私は下車。
こうして、研修の知識はどこかへ行ってしまいました。

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May 04, 2005

カブトムシ

 昨日のできごと
 最近ムスコはムシキングにハマっているせいで、そのカードホルダーを買いに
近所のダイエーにいっしょに行った。そしたら、入り口で「先着200名様にカブト
ムシの幼虫プレゼント」というのをやってて、とにかく最近甲虫類に関心の高い
ムスコ、しっかりもらって帰ってきた。先日北上のジャスコに「世界のカブト・クワ
ガタ展」も見に行ってしまい(所用のついでだったけど)興味だけはあるらしい。

 んで、もらってきたのはいいけど…どうやって育てるんだろう?ということに
なった。二匹もらってきたけど、一匹は元気だがもう一匹はあまり元気がない。
このままではすぐ死にそうだし、仕方なく私がダイエーでカブト養育セットを買う
ことになった。必要なのはケース、くぬぎマット(クヌギの細かいチップ)、クヌギ
の朽木が幼虫の場合は最低限必要。このマットをしっかりと水分を含ませて、
かなり大量にケースに入れる。だいたい、最低でも15cmの深さにするってんだ
もの。このほか、水分保持のためのスーパーアクアというやつと防臭活性炭。
活性炭はマットに混ぜておく。スーパーアクアはマットに差し込んでおく。朽木は
一昼夜水に浸けておき、適当に乾かしてからケースに入れる、という段取り。
昔のコドモは、こんなんやった覚えありません。いっときカブトムシとかクワガタ
が人気が出て、飼育するのが何気にはやった時期があったけど、それ以来
こういう飼育用品は安定して売れているらしい。
上記のものを買って、しめて1500円ほど。思ってたよりは安かった。
 失敗だったのはケース。ちょっと小さいのを買ってしまったので、いずれ
大きいのを買いなおさなければならないなぁ、と思いつつついつい幼虫の
入っているケースを持ち上げては様子を見てしまう。元気な奴はばりばり
音を立てながらマットの中を動き回っている。元気のなかった奴も、なんとか
なってるみたい。もそーっと、いる場所が動いている
今日は、水に浸けておいた朽木を中に入れる予定。この朽木を食べて
幼虫は育つんだそうな。そして、くぬぎマットは時期をみて入れ替えることに
なるのだけどこうして考えると結構手間がかかる。早くさなぎにならないかしら、
とむしろ親のほうが気にしてるのもなんか変だな。
子供の頃成虫のカブトムシ飼っていたことがあるけど、こいつはとぼけた奴で
夜になると出かけてしまうのに、朝になると飼育ケースに帰ってきていた。当時
我が家は古い木造の家だったから、家のどこかに行って遊んでたんだろうなぁ。

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May 01, 2005

5月になれば


 忘れていた、というわけじゃないけど忘れてたと同じだな。
4月29日は私の結婚式の日でありました。かれこれ、12年前。
奥さんにはご迷惑ばかりおかけしております。
 式の次の日から、北海道まで新婚旅行パート2だ!と
思ってたうきうきしてたら当日雪が降ってたのは驚いたなぁ。

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